田舎に行くと建物に赤い看板で「マルフク」と書いてあるのを見たことがあるでしょうか?
サビサビの看板で電話番号も見えないぐらいの感じですが、アレって何なの?
電話番号が書いてあるけど、電話したらどうなるんだろうか?
今回はそんな謎の「マルフク」についてご紹介しましょう。
怪しいヤミ金なんて噂もありますが、実際はどうなのか?
それでは色々とご紹介していきましょう。
記事の目次
そもそも、「マルフク」とは何?
「マルフク」は出資法附則第15項で定義される、電話担保金融業者の最大手でした。
大阪府で創業され、電話加入権を担保に金銭を融資していたんですね。
電話加入権は、固定電話回線を引く権利で、かつてはこの電話加入権がなければ自宅に電話回線が引けませんでした。
なので、電話加入権自体にも売値がつき、マルフクはこの電話加入権の販売もしていたんですね。
だから、マルフクの看板には「電話の販売・金融」という文字が添えられていることが多いのでしょう。
1996年までは電話加入権は5万円前後で売買されており、電話担保金融の場合、電話加入権一つあたり10万円前後の融資となったようです。
年利で考えるとかなりの暴利な気もしますが、法律で特例として許されていたという事。
電話加入権を担保にするので、質料を支払えない場合は電話加入権を指し押さえられ、電話が使えなくなります。
当然スマホのような携帯電話回線やインターネットを経由したSNSは当時ありませんから、固定電話回線を使えなくなると家族や友人とのコミュニケーションを取る手段がなくなるので、とても大変なのがわかりますよね。
だからこそ、重要視され売値がつき、電話担保金融を使った人は質料を払うのに躍起になったわけです。
マルフクは最盛期の90年代には日曜午後9時台のテレビ番組や選挙特番のスポンサーもしており、有名な金融業者でした。
マルフクに続く電話担保業者もたくさんあった時代もあったんですが、今は懐かしいですね。
マルフクの金融業者としての借入方法は?
マルフクはかつて存在した日本の電話加入権売買・電話担保金融業者です。
「電話加入権売買・電話担保」とあるようにNTT(旧電電公社)の電話加入権を担保にお金を貸していた会社ですが、今は廃業しています。
電話加入権って今の人には分からないかもしれませんね。
電話加入権とは?
電話加入権とは「加入電話契約者が加入電話契約に基づいて加入電話の提供を受ける権利」です。
昔は電話網の整備が電話需要の伸びに(資金的な意味で)追いついて折らず、発展途上の電話網の整備に出資するような形でお金を払うことで、電話回線を引いて貰う事ができたのです。
そして「電話加入権の取引市場が形成されていて」「質権の設定が認められていることから、マルフクのような「電話加入権売買」や「電話担保金融」というビジネスが成立していたと言うことです。
しかし、電話網の整備が進んだ事に加えて、21世紀の現在では電話加入権がなくても電話を使う方法はいくらでもあり、電話加入権の存在意識は薄れていますよね。
今では電話加入権はNTT以外の会社が提供する固定電話回せにゃ、携帯電話、NTTのIP通信網サービスで提供される、フレッツ光やひかり電話では不要です。
現代においては電話載りように必ずしも必要となる権利ではないということ。
実際、電話加入権の市場取引価格は、1995年3月に55,000円だったものが、2004年10月時点で11,000円にまで下落しています。
現在はある取引業者のページに表示された買取価格は1,100円になっていました。
こうなってしまっては、電話加入権を担保に融資を行うというマルフクのビジネスモデル自体が成り立ちませんね。
マルフクの歴史
それではマルフクの歴史についてご紹介しましょう。
- 1958年4月:丸福電話店操業(布施市)
- 1968年4月:(株)丸福創立(岸和田市)
- 1975年8月:「株式会社マルフク」を設立
- 1977年9月:関東地区初進出、川崎市にて開業
- 1979年6月:東海地区進出、豊橋市にて開業
- 1983年2月:中国地区進出、岡山市にて開業
- 1984年8月:東京都中央区に東京本社ビル施工
- 1986年4月:事業持株会社「株式会社善光(現・株式会社シークエッジ・ジャパン・ホールディングス」を設立
- 1986年8月:大阪市堺市に大阪本社ビル施工
- 1986年10月:大阪本社を大阪府堺市に移転
- 1988年4月:四国地区進出、松山市にて開業
- 1988年5月:東北地区進出、郡山市にて開業
- 1993年4月:北海道地区進出、札幌市にて開業
- 1999年12月:三洋電機クレジット株式会社と業務提携
- 2000年4月:三洋電機クレジット株式会社と共同出資会社「株式会社シー・シー・エー」設立
- 2001年5月:ニッシン(現・NISグループ)と業務提携
- 2002年5月:ディックファイナンス株式会社(現・CFJ同号会社)に営業の大部分を譲渡、当時存在した全国の174営業所は、ほぼ全てが閉鎖または売却
- 2002年5月:電話担保金融事業からの撤退に伴う諸手続のため同年9月まで新規融資を停止
- 2002年8月:マルフク信用保証を九州合併
- 2003年2月:マルフク事務代行(旧マルフク事業協同組合)をマルフクの資産管理会社であったシークエッジ(旧善光、大阪府岸和田市)へ吸収合併
- 2005年12月:貸金業部門を「マルフククレジット」へ継承、「マルフククレジット」は「マルフク」、旧マルフクは最終的に「ヴィラージュ・キャピタル」へ商号を変更
- 2006年12月:新規の融資受付を停止
- 2009年1月:貸金業登録の廃業
かつては全国に拠点を有する、数少ない電話担保金融業者として、中小企業や個人事業主、および消費者向けの融資・レンタル電話事業を行い、日本全国津々浦々の民家などに赤と白のブリキの看板や、ホーロー看板が設定されていました。
しかし、電話加入権の担保価値が下落してきたため、電話担保金融の事業から撤退、「生活キャッシング・振込ローン」で再出発しています。
しかし、2002年5月に全店舗を閉鎖し、資産の大部分をシティグループへ売却。
上限金利規制強化や貸し倒れの増加により債権を断念しています。
現在は貸金業登録もされておらず、会社の営業・実体は存在していないようですが、2023年時点で法人格は存続しているという事。
かつて調子の良いときは、森崎めぐみさん、畑野浩子さんがCMに出演し、赤井英和さんも広告に起用していましたね。
また、各地に設置された看板は廃業後の現在も、郊外の古い木造建築物やトタン張りの小屋を中心にまだ多く残されているようです。
マルフクの看板は何故今もあるの?
看板が貼られているのは比較的田舎の普通の家が多いです。
今でも残っている所もありますが、どうやって民家の壁に看板を貼り付けたのでしょうか?
ピーク時には全国に50万枚貼られていたそうですよ。
実際に看板を掲載していた家主の話によると、マルフク側が直接家主に打診し、お金を払って掲載してもらうシステムだったようです。
謝礼金は年間5,000円~10,000円程度。
しかし、その一方で洗剤やタオルしかもらえなかったという話もあるようです。
まあ、もの凄く安い価格で普通の家に看板を取り付けていたと言うことでしょう。
広告費を節約し、何年単位という契約もなく、一度貼ってしまえばそのままっていう事なんでしょうね。
かなり画期的な広告システムだと言えますし、現在は無理な方法とも言えるでしょう。
一度貼ってしまったし、家主がはずそうと思わなければ、ずっと貼ってあるので、それが今も残っているからこそ廃れた看板があるのでしょうね。
マルフクに電話してみた!
ネット上ではマルフクの看板があるので、そこに電話してみたという方も結構いらっしゃるようです。
しかし、もうマルフクは営業していませんので、電話はかかりませんよ。
たまにかかってもマルフクとは全然関係のない方の家に電話が繋がる状態です。
なので、マルフクの看板を見かけても、そこに電話をするのは辞めましょうね。
電話代の無駄だということです。
マルフクはヤミ金だったの?
マルフクは先程から書いているようにヤミ金ではありません。
まあ、サラ金というのが近い気がしますけどね。
マルフクの看板には数種類のバージョンがあり、以下のような文字が記されています。
- 電話の金融・販売
- 電話の金融・レンタル
- 生活キャッシング・振込ローン
現在のサラ金の広告と比べると情報量がめちゃくちゃ少ないですが、この看板を見てお金を借りたいと言う人は、電話をかけて問い合わせやローンの申込みをしていたと言うことでしょう。
電話の加入権を担保にして、比較的まとまったお金を借りることができたのが昔です。
マルフクは電話加入権担保の融資だけでなく、それと並行して電話加入権を売買したり、会社などにレンタルすることでも収益を上げていました。
電話融資から「生活キャッシング・振込ローン」へ
時代の流れと共に、電話加入権の価値が下落しただけでなく、それに伴って加入権を担保に融資できる特例(貸金業法)も廃止されました。
そこでマルフクも電話加入権の取り扱いから手を引き、キャッシングや振込ローンといった通常のサラ金に形を変えたのです。
そしてこのような経営の変化が歴代の看板として、そのまま全国に残されたんですね。
マルフクの金利はどれぐらい?
ところでマルフクは、どれぐらいの金利で営業していたのでしょうか?
一説には、電話担保金融者特例があり、その頃は54.75%という金利だったそうですよ。
もの凄く高いですが、だからこそ少ないお金でも儲けがあったのでしょうね。
小額貸付でも利益が十分に出たといえます。
顧客には、個人の他に個人事業主や飲食店なども多かったという事。
商売をしていれば必ず電話はありますし、飲食店だとならびのいい番号、覚えやすい番号とか、ぞろ目などは、付加価値が付いて10万円、あるいは100万円程度貸し付けることも合ったと言う事ですよ。
そういう電話は手放したくないので、高い金利を払ってしまうと言うこと。
最初の頃は高い金利でやっていたということですが、電話が下火になり、厳しくなったようです。
その後、生活キャッシング・振込ローン時代になると以下の様な金利でやっていたようです。
限度額 | 金利 |
1万円~100万円 | 実質年率29.2% |
これでも金利が高いと思いますが、それは今とは時代が違うからですね。
貸金業法改正以前なので、このような金利で営業できていたのです。
申込み条件も20歳以上70歳未満で、必要書類は健康保険証と運転免許証ということです。
今のように「安定した収入があること」なんて文面はなかったようです。
総量規制もまだ導入されていない時代だったので、金利が高く、少ない貸付でも設ける事が出来たのでしょう。
それこそ、お金を借りに来た人には誰でもお金を貸していた可能性もありますよね。
収入の無い専業主婦や、無職の人にも貸していたのかもしれません。
でも、そういう人にお金を貸すということは、返ってくる可能性も低いと言えます。
そういうときは取り立てということになるのでしょうが、取り立てに関しても今よりは厳しい規制はないので、家まで行ったり、会社に行ったり等色々な方法でお金を取り立てていたのではないかと想像します。
ヤミ金じゃないけど、そういう時代だったという事でしょうね。
今ならヤミ金と言われてもおかしく無いような、そういう営業体系だったのかも知れません。
しかし、この当時は、マルフクだけではなく、他の消費者金融なども同じような感じですから、マルフクだけが悪いわけじゃありません。
時代の流れと言う事ですよね。
でも、そういったお金を返せない人にも貸す業者が多く、金利も高かったからこそ、現在の年収の3分の1を超える借入ができなくなる総量規制という法改正が行われたのでしょう。
マルフクとしては、その法改正のあとは厳しくなり、廃業に至ったという事でしょうね。
まとめ
マルフクについてご紹介しました。
今でも田舎で看板を見ることが有るかもしれませんが、昭和の名残と言っても良いでしょう。
電話番号が書いてあっても営業はしていませんので、電話はしないでくださいね。
赤いマルフクの看板を見かけたら、写真に残して置くのも良いかもしれません。
もう増えることはありませんし、無くなっていく看板ですからね。
最後までご覧いただきありがとうございました。